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社長コラム

「見せつける」

2020年4月 1日掲載

ここ何年かの傾向なんでしょうか、TVのスポーツニュースを見ていると「新外国人の〇〇選手がさく越え連発!メジャーのパワーを見せつけました」というような言い回しがちょくちょく出てくることに気が付きます。


「見せつける」という言葉は、私達が子供のころはあまりいい言葉ではない、と教えられたような気がするのですが、今ではニュースのテロップでそれこそ毎日「見せつけられて」いるのです。


そもそもその新外国人は、誰かに自分のパワーを「見せつけている」のでしょうか?バッティングで、自分の仕事を着実にこなしているだけではないのかなあ、といつも思ってしまうのです。 それを見た人が評価したり、驚愕することで初めてその外国人は他の人に承認される、と思うのですが。


この言葉自体が見せつける相手が必要です。そして、自分がその相手に対して承認欲求をぶつける、排他的で利己的な行動が「見せつける」だと認識しています。そこには、動き手である自分の「思惟」だけが宿り、相手をおもんばかる「思慮」は存在しないように思えます。私がそれをぶつけられたら、その人を素直に承認できるのか。他人からの承認は、自らが求めるものなのか、考えを巡らせています。


しかしながら、「目立つ事がいい事だ」という風潮の昨今。この言葉が朝のニュースに何度も出てくるという事自体、世相を表しているのかもしれません。

願わくは、新聞の見出しにまで、この言葉が狂い咲きしない事を。

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